Chapter 4: 紅魔族の少女 メグミンの意識が浮上したのは、深夜だった。 カズマの泣き声が部屋に響いていた。メグミンは目を開けた。まだ眠い。身体が鉛のように重い。 「ふぇええええん!」 カズマは激しく泣いていた。メグミンは身体を起こした。窓の外は真っ暗だった。 「わかった、わかった」 メグミンはカズマを抱き上げた。おむつを確認する。濡れていた。 「またか」 メグミンはため息をついた。おむつを替える。カズマは泣き続けた。 「泣き止め。もう替えたぞ」 カズマは聞いていなかった。泣き声がさらに大きくなる。 メグミンはミルクを作った。哺乳瓶をカズマの口に近づける。カズマは首を振って拒否した。 「飲まないのか?」 メグミンは困惑した。おむつも替えた。ミルクも用意した。なのに泣き止まない。 「何が不満なんだ」 メグミンはカズマを揺すった。カズマは泣き続けた。 メグミンは途方に暮れた。どうすればいいのかわからない。昨夜は添い寝で泣き止んだ。今夜もそうすればいいのか。 メグミンはベッドに横になった。カズマを胸に抱く。カズマは泣き止まなかった。 「頼むから泣き止んでくれ」 メグミンは懇願した。だが、カズマは聞いていなかった。 メグミンは焦った。このままでは隣の部屋に迷惑がかかる。いや、もう迷惑をかけている。 「どうすればいいんだ……」 メグミンは考えた。赤ん坊を泣き止ませる方法。本で読んだことがある。歌を歌うといい、と。 「歌か」 メグミンは呟いた。歌なら歌える。紅魔族の歌がある。 メグミンは深呼吸をした。そして、歌い始めた。 「闇より深き紅の夜に――」 紅魔族に伝わる子守唄だった。メグミンの母がよく歌っていた歌だ。 「眠れ、我が子よ、紅き炎の子よ――」 メグミンの声は静かで優しかった。普段の彼女からは想像できないほど、柔らかい声だった。 カズマの泣き声が弱まった。 「明日は来る、爆裂の朝が――」 メグミンは歌い続けた。カズマは泣くのをやめた。メグミンを見上げている。 「眠れ、眠れ、紅き瞳の子よ――」 カズマの瞳が徐々に閉じていった。メグミンは歌い続けた。 「夢の中で爆裂魔法を――」 カズマは眠りについた。メグミンは歌を止めた。静寂が部屋に戻った。 メグミンは大きく息をついた。ようやく泣き止んだ。 「紅魔族の子守唄が効くとはな」 メグミンは呟いた。カズマの寝顔を見る。穏やかな表情だった。 メグミンはカズマを抱いたまま、再び横になった。もう起こさないように、慎重に。 「お前のせいで眠れないぞ」 メグミンは文句を言った。だが、その声は優しかった。 メグミンは目を閉じた。カズマの温かさが心地よかった。 *** 朝、メグミンは疲労で身体が動かなかった。 カズマはすでに起きていた。メグミンの顔を覗き込んでいる。 「おはよう……」 メグミンは力なく挨拶した。カズマは笑顔を見せた。 「お前は元気だな」 メグミンは羨ましかった。赤ん坊は回復が早い。 メグミンは身体を起こした。頭が痛い。眠りが浅かったせいだ。 ドアをノックする音がした。 「誰だ」 メグミンは警戒した。こんな朝早くに誰が来るのか。 「メグミン、私よ!」 聞き覚えのある声だった。メグミンは驚いた。 「ゆんゆん?」 メグミンはドアを開けた。ゆんゆんが立っていた。いつもの笑顔で。 「おはよう、メグミン! 来たわよ!」 「何をしに来た」 メグミンは不機嫌そうに聞いた。ゆんゆんは部屋の中を覗き込んだ。 「赤ちゃんの様子を見に来たの。噂になってるのよ、メグミンが赤ちゃんの世話をしてるって」 「噂だと?」 メグミンは眉をひそめた。ゆんゆんは頷いた。 「そうよ。ギルドで聞いたわ。それで心配になって――」 ゆんゆんはメグミンの顔をまじまじと見た。 「メグミン、すごく疲れてるわね」 「疲れてなどいない」 メグミンは強がった。ゆんゆんは心配そうな表情をした。 「嘘。クマができてるわよ」 「……少し眠りが浅かっただけだ」 メグミンは認めた。ゆんゆんは部屋に入ってきた。 「手伝うわ」 「手伝う?」 「そう。赤ちゃんの世話を手伝う」 ゆんゆんは真剣だった。メグミンは首を振った。 「必要ない。私一人で十分だ」 「十分じゃないわよ。見れば分かる。メグミン、あなたは限界よ」 ゆんゆんの言葉にメグミンは反論できなかった。確かに限界だった。 「だが……」 「いいから。私も紅魔族よ。仲間でしょう?」 ゆんゆんは微笑んだ。メグミンは逡巡した。 カズマがメグミンの服を引っ張った。メグミンは下を向いた。カズマが彼女を見上げている。 「わかった。手伝ってくれ」 メグミンは折れた。ゆんゆんは嬉しそうに笑った。 「任せて!」 *** ゆんゆんは驚くほど手際が良かった。 カズマのおむつを替え、ミルクを作り、カズマをあやした。メグミンはその様子を見ていた。 「ゆんゆん、お前、慣れてるな」 「村で小さい子の世話をしたことがあるの」 ゆんゆんは誇らしげに言った。カズマはゆんゆんに抱かれて、機嫌が良さそうだった。 メグミンは複雑な気持ちになった。嬉しいような、寂しいような。 「この子、可愛いわね」 ゆんゆんはカズマの頬をつついた。カズマは笑った。 「可愛いか?」 「ええ。すごく可愛い」 ゆんゆんは本気だった。メグミンはカズマを見た。確かに可愛い。だが、中身はカズマだ。 「そうか」 メグミンは曖昧に答えた。ゆんゆんは気づかなかった。 「ねえ、メグミン。お風呂に入れてあげましょうか」 「風呂?」 「そう。赤ちゃんは毎日お風呂に入れた方がいいのよ」 ゆんゆんは立ち上がった。メグミンは戸惑った。 「私が入れる」 「いいわよ。私がやるから、メグミンは休んでて」 「だが――」 「大丈夫よ。任せて」 ゆんゆんはカズマを抱いて、浴室に向かった。メグミンは後を追った。 「本当に私がやる」 「遠慮しないで。友達でしょう?」 ゆんゆんは微笑んだ。メグミンは言葉に詰まった。 浴室でゆんゆんはカズマの服を脱がせ始めた。メグミンは固まった。 「ゆんゆん、待て」 「何?」 「やはり私がやる」 メグミンは手を伸ばした。ゆんゆんは首を傾げた。 「どうして? 私がやるって言ってるのに」 「それは……」 メグミンは理由を探した。だが、見つからなかった。 ゆんゆんはカズマを完全に裸にした。お湯を張った桶にカズマを入れる。カズマは気持ちよさそうにしていた。 「ほら、気持ちいいでしょう?」 ゆんゆんはカズマに語りかけた。カズマは手を動かして、お湯をバシャバシャと叩いた。 メグミンはその光景を黙って見ていた。胸の奥に何かが引っかかった。 嫉妬だった。 メグミンは自分の感情に驚いた。なぜ嫉妬するのか。カズマは赤ん坊だ。ゆんゆんが世話をしたところで、何も問題はない。 だが、胸の奥のもやもやは消えなかった。 ゆんゆんはカズマの身体を優しく洗った。カズマは楽しそうにしている。 「メグミン、タオルを取ってくれる?」 ゆんゆんが言った。メグミンは無言でタオルを渡した。 ゆんゆんはカズマをお湯から上げて、タオルで包んだ。カズマは満足そうな顔をしていた。 「はい、終わり」 ゆんゆんはカズマをメグミンに渡した。メグミンはカズマを受け取った。 カズマは温かかった。お風呂上がりの独特の匂いがした。 「ね、簡単でしょう?」 ゆんゆんは笑った。メグミンは頷いた。 「ああ……簡単だな」 メグミンの声は小さかった。ゆんゆんは気づかなかった。 *** ゆんゆんは昼過ぎまで手伝ってくれた。 カズマの世話はほとんどゆんゆんがやった。メグミンは休むように言われて、ベッドで横になっていた。 だが、眠れなかった。 カズマとゆんゆんの笑い声が聞こえる。楽しそうだった。 メグミンは天井を見つめた。胸のもやもやが消えない。 「メグミン、起きてる?」 ゆんゆんが声をかけてきた。メグミンは身体を起こした。 「ああ」 「そろそろ帰るわね」 ゆんゆんはカズマを抱いていた。カズマは眠そうな顔をしている。 「そうか。ありがとう」 メグミンは礼を言った。ゆんゆんは首を振った。 「いいのよ。また明日も来るわね」 「明日も?」 メグミンは驚いた。ゆんゆんは頷いた。 「当然よ。メグミンが元気になるまで、手伝うわ」 「その必要は――」 「あるわよ。友達でしょう?」 ゆんゆんは微笑んだ。メグミンは何も言えなかった。 ゆんゆんはカズマをメグミンに渡した。 「じゃあ、また明日」 「ああ……また明日」 メグミンは見送った。ゆんゆんがドアを閉める。静寂が戻った。 メグミンはカズマを見下ろした。カズマは眠っていた。 「ゆんゆんは良い奴だな」 メグミンは呟いた。だが、胸のもやもやは消えなかった。 *** 夜、メグミンはカズマを抱いてベッドに横になった。 カズマは目を覚ましていた。メグミンを見つめている。 「今日はゆんゆんに世話をしてもらったな」 メグミンは話しかけた。カズマは何も答えなかった。 「ゆんゆんは上手だった。私より上手だ」 メグミンは認めた。カズマは首を傾げた。 「だが……」 メグミンはカズマを抱きしめた。 「お前の世話をするのは私だ」 カズマはメグミンの胸に顔を埋めた。 「ゆんゆんは手伝ってくれる。それは助かる。だが、お前は私が世話をする」 メグミンは強く言った。カズマは小さく手を動かした。 「わかっているのか?」 カズマはメグミンの服を掴んだ。 「私が世話をするんだ。他の誰でもない」 メグミンは宣言した。カズマはメグミンを見上げた。 その目には何か理解しているような光があった。メグミンはカズマの頭を撫でた。 「お前は私の責任だ」 カズマは目を閉じた。メグミンの腕の中で、安心しきった表情を浮かべている。 メグミンはカズマを見つめた。小さくて、無防備で、頼りない存在。だが、確かに大切な存在だった。 「お前は私が世話をする」

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