Chapter 3: 爆裂魔法への執着
メグミンは目を覚ました瞬間、昨日の屈辱を思い出した。爆裂魔法を放てなかった。紅魔族として、メグミンとして、あってはならない事態だ。
隣で眠るカズマを見た。小さな胸が上下している。平和そうな寝顔だった。
「今日こそは絶対に放つ」
メグミンは静かに、だが強い決意を込めて呟いた。
問題はカズマだ。昨日のように連れて行けば、また泣いて邪魔をされる。ならば答えは一つだ。
「部屋に残していく」
メグミンは立ち上がり、外出の準備を始めた。杖を手に取り、外套を羽織る。カズマはまだ眠っている。今がチャンスだ。
メグミンはそっとドアに向かった。足音を立てないように、慎重に歩く。ドアノブに手をかけた。
「ふぇ」
カズマの声がした。メグミンは固まった。
振り返ると、カズマが目を覚ましていた。小さな目がメグミンを捉えている。
「まだ寝ていろ。すぐに戻る」
メグミンは囁いた。カズマの表情が曇った。
メグミンはドアを開けた。カズマが泣き始めた。
「ふぇええええん!」
「泣くな! 私はすぐ戻る!」
メグミンは叫んだが、カズマの泣き声は止まらなかった。むしろ激しくなっていく。
「くっ……」
メグミンは葛藤した。ここで戻れば、また爆裂魔法を諦めることになる。だが、このままカズマを泣かせたまま出て行けば――
「いや、行くぞ。私は紅魔族だ。爆裂魔法は譲れない」
メグミンは決断した。ドアを閉めて、部屋を出た。
カズマの泣き声が廊下に響いた。メグミンは足を速めた。階段を降りる。宿の外に出る。
泣き声がまだ聞こえる気がした。メグミンは耳を塞ぎたくなったが、杖を持つ手を離せなかった。
「すぐに戻る。それまで我慢しろ、カズマ」
メグミンは街を抜けて、草原へ向かった。
草原に着いた時、メグミンの心は晴れなかった。カズマの泣き声が頭から離れない。
「気にするな。赤ん坊は泣くものだ」
メグミンは自分に言い聞かせた。杖を構える。魔力が体内で渦巻き始めた。
「そうだ、これだ。この感覚。爆裂魔法こそが私の全てだ」
メグミンは詠唱を始めた。
「我が名はメグミン! 紅魔族随一の魔法使いにして――」
カズマの泣き顔が脳裏に浮かんだ。メグミンは首を振った。
「集中しろ!」
「闇より暗き漆黒を束ね――」
小さな手が彼女の服を掴む感触を思い出した。温かくて、柔らかくて――
「くそっ!」
メグミンは詠唱を止めた。魔力が乱れる。深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。
「もう一度だ」
メグミンは杖を構え直した。
「我が名はメグミン――」
「ふぇええええん!」
カズマの泣き声が聞こえた気がした。いや、幻聴だ。草原にカズマはいない。
「紅魔族随一の――」
「メグミン!」
本物の声がした。メグミンは振り返った。
冒険者が三人、こちらに走ってきていた。男が二人、女が一人だ。メグミンは彼らを見たことがある。ギルドでよく見かける冒険者たちだ。
「何の用だ」
メグミンは不機嫌そうに聞いた。邪魔をされたくない。
「メグミン、お前、赤ん坊を部屋に置いてきたのか!」
男の一人が叫んだ。メグミンは眉をひそめた。
「そうだが、それが何か」
「何かじゃない! 赤ん坊が泣き叫んでるぞ! 宿中に響いてる!」
女の冒険者が言った。メグミンは罪悪感を覚えたが、それを押し殺した。
「すぐに戻る。それまで――」
「すぐじゃダメだ! 今すぐ戻れ!」
もう一人の男が怒鳴った。メグミンは苛立った。
「私は爆裂魔法を放たなければならない。紅魔族として、一日たりとも欠かすわけには――」
「そんなこと知るか! 赤ん坊を優先しろ!」
三人は真剣だった。メグミンは彼らの目を見た。非難の色が濃い。
「お前たちに何がわかる」
メグミンは低い声で言った。
「私は紅魔族だ。爆裂魔法は私の存在意義だ。それを理解しろ」
「理解できるか! お前は母親だろう!」
女の冒険者が叫んだ。メグミンの顔が真っ赤になった。
「違う! あれはカズマだ! 薬で赤ん坊に――」
「またその言い訳か。誰も信じてないぞ」
男の一人が呆れたように言った。
「本当だ! ウィズに聞け!」
「ウィズは『秘密』だって言って教えてくれなかった」
メグミンは絶望した。ウィズめ、余計なことを。
「とにかく、今すぐ戻れ。でなければ、ギルドに報告する」
三人は本気だった。メグミンは悔しさで拳を握った。
「わかった……戻る」
メグミンは杖を下ろした。魔力が霧散していく。また、爆裂魔法を放てなかった。
宿に戻ると、カズマの泣き声が廊下中に響いていた。メグミンは部屋のドアを開けた。
カズマはベッドの上で泣き叫んでいた。顔が真っ赤で、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。
「カズマ……」
メグミンは胸が痛んだ。カズマを抱き上げる。カズマは一瞬泣き止んだが、またすぐに泣き始めた。
「すまなかった。もう大丈夫だ」
メグミンはカズマを揺すった。だが、カズマは泣き続けた。
おむつを確認した。濡れていた。メグミンは急いでおむつを替えた。それでもカズマは泣き止まない。
ミルクを作って飲ませようとした。カズマは哺乳瓶を叩き落とした。ミルクが床にこぼれた。
「カズマ、落ち着け!」
メグミンは焦った。カズマの泣き声がどんどん大きくなっていく。
メグミンはカズマを抱きしめた。強く、しっかりと。
「私が悪かった。もう置いていかない」
カズマの泣き声が少しだけ弱まった。
「許してくれ、カズマ」
メグミンは囁いた。カズマは彼女の胸に顔を埋めた。泣き声が徐々に小さくなっていく。
「もう大丈夫だ。私はここにいる」
カズマはしゃくりあげながら、泣き止んだ。メグミンはカズマの背中を優しく撫でた。
「本当にすまなかった」
メグミンは心から謝った。カズマは彼女を見上げた。涙で濡れた目が、メグミンを見つめている。
「私は……自分勝手だったな」
メグミンは認めた。爆裂魔法への執着が、カズマを傷つけた。
午後、メグミンはカズマを抱いてギルドに向かった。冒険者たちの視線が痛い。
受付嬢のルナが声をかけてきた。
「メグミンさん、朝は大変でしたね」
「ああ……すまなかった」
メグミンは頭を下げた。ルナは優しく微笑んだ。
「赤ちゃんは手がかかりますからね。でも、ちゃんと戻ってきて偉いですよ」
「偉くなんかない。私は……」
メグミンは言葉を切った。カズマが彼女の服を掴んでいる。
「育児は大変です。でも、メグミンさんなら大丈夫ですよ」
ルナの言葉にメグミンは複雑な表情をした。
ギルドの片隅で、アクアとダクネスが待っていた。
「聞いたわよ、メグミン。やらかしたんだって?」
アクアがにやりと笑った。メグミンは睨んだ。
「黙れ。お前が世話を引き受けていれば、こんなことには――」
「私は引き受けてないもの。くじで負けたのはメグミンよ」
アクアは楽しそうだった。ダクネスが口を開いた。
「メグミン、爆裂魔法を諦めるのか?」
「諦めない。ただ……」
メグミンはカズマを見た。
「一週間だけ、我慢する」
アクアとダクネスは驚いた顔をした。
「本気?」
「本気だ」
メグミンは真剣だった。
「私は紅魔族だ。爆裂魔法は私の全てだ。だが……」
メグミンはカズマを抱きしめた。
「カズマは仲間だ。一週間くらい、我慢できる」
アクアは口を開けたまま固まった。ダクネスは感心したように頷いた。
「メグミン、お前は成長したな」
「成長などしていない。ただ、優先順位をつけただけだ」
メグミンは強がった。だが、その目は優しかった。
「まあ、良いんじゃない? メグミンらしくないけど」
アクアが肩をすくめた。
「私らしくなくて結構だ」
メグミンは二人に背を向けた。
「帰る。カズマが疲れている」
「ちょっと、もう帰るの?」
「ああ。カズマには静かな場所が必要だ」
メグミンはギルドを出た。
部屋に戻ると、メグミンはカズマをベッドに寝かせた。カズマは疲れ切った顔をしている。
「今日は散々だったな」
メグミンはカズマの頬に触れた。柔らかくて温かい。
「私のせいだ。すまなかった」
カズマは何も言わなかった。ただ、メグミンを見つめている。
「一週間、爆裂魔法を我慢する。これは私の責任だ」
メグミンは宣言した。カズマの目が少しだけ揺れた。
「お前のせいだからな」
メグミンは呟いた。だが、その声には非難の色はなかった。
「お前が元に戻るまで、私は爆裂魔法を封印する」
カズマは小さく手を動かした。メグミンの指に触れようとしている。
メグミンは手を差し出した。カズマの小さな手が彼女の指を掴んだ。
「約束だ。一週間、私はお前の世話に専念する」
カズマの手が、ぎゅっとメグミンの指を握った。
メグミンは微笑んだ。
「その代わり、元に戻ったら覚えていろよ。お前は私に大きな借りを作ったんだからな」
カズマは何も答えなかった。ただ、メグミンの指を握り続けた。
「さて、夕食の準備をしないとな」
メグミンは立ち上がろうとした。だが、カズマが彼女の指を離さなかった。
「離してくれないと、料理ができないぞ」
カズマは首を振った。メグミンはため息をついた。
「わかった。抱いたまま料理する」
メグミンはカズマを抱き上げた。カズマは満足そうな顔をした。
「本当に手のかかる奴だ」
メグミンは文句を言いながらも、カズマを優しく抱いていた。カズマは彼女の胸に顔を埋めて、安心しきった表情を見せた。
「お前のせいだからな」
メグミンは再び呟いた。だが、その言葉とは裏腹に、メグミンはカズマを優しく抱きしめた。
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