Chapter 2: 初めての外出
朝日が昇り、メグミンは疲れた体を引きずって起き上がった。カズマはまだ眠っていた。小さな胸が規則的に上下している。メグミンは自分の顔を洗い、簡単な朝食を用意した。パンとスープだけの質素な食事だ。
カズマが目を覚ましたのは、メグミンがスープを飲み終えた頃だった。小さな泣き声が部屋に響く。
「起きたか」
メグミンはカズマを抱き上げた。おむつを確認する。濡れていた。もう慣れたものだ、とメグミンは思った。昨夜だけで三回も替えた。手際よくおむつを替え、ミルクを作る。
カズマは哺乳瓶を咥えて夢中でミルクを飲んだ。メグミンは窓の外を見た。快晴だった。
「そうだ、今日は爆裂魔法の日課がある」
メグミンは呟いた。毎日、草原で爆裂魔法を一発放つのが彼女の日課だ。一日でも欠かすわけにはいかない。だが問題がある。カズマをどうするか。
「部屋に置いていくわけにはいかんな」
赤ん坊を一人にするのは危険だ。メグミンは決断した。カズマを連れて行くしかない。
ミルクを飲み終えたカズマをげっぷさせ、メグミンは外出の準備を始めた。カズマに暖かい服を着せ、自分も外套を羽織る。カズマを抱き上げると、想像以上に重かった。
「一週間、これを続けるのか……」
メグミンは深いため息をついた。
街に出ると、すぐに視線を感じた。
「あら、メグミンちゃん。その子は?」
八百屋のおばさんが声をかけてきた。メグミンは慌てて答えた。
「これは、えっと、知り合いの子で……」
「まあ、可愛い! メグミンちゃん、もうお母さんなの?」
「違います! これは――」
「若いのにえらいわねぇ。頑張ってね」
おばさんは勝手に納得して、野菜の整理に戻った。メグミンは呆然とした。
「待て、話を聞け!」
だが、おばさんはもう聞いていなかった。
メグミンは足早に街を歩いた。だが、すれ違う人々が次々とカズマを見て微笑む。
「メグミンの赤ちゃん、可愛いね」
「お父さんは誰?」
「まさかカズマの?」
最後の言葉にメグミンは顔を真っ赤にした。
「違う! これはカズマだ! カズマが薬で赤ん坊になったんだ!」
だが、誰も信じなかった。むしろ、必死に否定するメグミンを見て、人々は「照れてる」と解釈した。
「そんなに恥ずかしがらなくても」
「祝福するわ」
「幸せにね」
メグミンは絶望した。これは悪夢だ。カズマは彼女の腕の中で、状況を理解しているのか、複雑な表情を浮かべていた。もちろん、メグミンにはそれが赤ん坊の無邪気な顔にしか見えなかった。
「くそっ、早く草原に行くぞ」
メグミンはカズマを抱きしめて、街の外へ急いだ。
草原に着いた時、メグミンは息を切らしていた。赤ん坊を抱いて長距離を歩くのは想像以上に疲れる。
「はあ、はあ……ようやく着いた」
メグミンはカズマを草の上に寝かせた。カズマは空を見上げている。青い空と白い雲が広がっていた。
「少し待っていろ。すぐに爆裂魔法を放つ」
メグミンは杖を構えた。いつもの場所、いつもの角度だ。魔力が体内で渦巻く。この感覚がたまらない。メグミンは詠唱を始めた。
「我が名はメグミン! 紅魔族随一の魔法使いにして爆裂魔法を操りし者! 闇より暗き漆黒を束ね、紅き魔力を糧とし――」
その時、カズマが泣き始めた。
「ふぇええええん!」
大きな泣き声が草原に響いた。メグミンの詠唱が止まった。
「カ、カズマ! 今はダメだ! あと少しで――」
だが、カズマの泣き声は止まらなかった。むしろ、どんどん大きくなっていく。メグミンは魔力を維持しようとしたが、カズマの泣き声が気になって集中できない。
「くっ……」
メグミンは詠唱を中断して、カズマの元に駆け寄った。
「どうした! おむつか? お腹が空いたのか?」
カズマは泣き続けた。メグミンはおむつを確認したが、濡れていなかった。ミルクもさっき飲んだばかりだ。
「何が不満なんだ!」
メグミンは苛立ちながらカズマを抱き上げた。カズマはメグミンの顔を見て、少しだけ泣き声を弱めた。
メグミンは理解した。
「まさか……寂しかったのか?」
カズマの泣き声が完全に止まった。メグミンは額に手を当てた。
「お前は……赤ん坊の体になって、精神まで影響を受けているのか?」
カズマは何も答えなかった。ただ、メグミンの顔を見つめていた。
「仕方ない。抱いたまま爆裂魔法を放つ」
メグミンはカズマを片腕で抱き、もう片方の手で杖を構えた。バランスが悪い。魔力の制御も難しい。だが、やるしかない。
「我が名はメグミン――」
カズマが身じろぎした。メグミンの胸に小さな頭を押し付けてくる。メグミンの顔が赤くなった。
「動くな、カズマ! 今は詠唱中だ!」
カズマは気にせず、メグミンの体温を求めて体を擦り付けてくる。メグミンは詠唱を続けようとしたが、カズマの柔らかい体が気になって仕方ない。
「くそっ……集中できん!」
メグミンは詠唱を諦めた。魔力が霧散していく。一日一回の爆裂魔法を放てなかった。これは紅魔族として、メグミンとして、あってはならないことだ。
「カズマ……貴様……」
メグミンは怒りに震えた。だが、カズマは彼女の胸の中で安心しきった顔をしている。小さな手がメグミンの服を掴んでいた。
メグミンは深く息を吐いた。
「わかった。今日は諦める。だが明日は絶対に放つぞ」
カズマは「ふぇ」と小さく声を出した。メグミンはそれを肯定と受け取った。
帰り道、メグミンは疲労を感じていた。カズマを抱いたまま草原から街まで歩くのは辛い。腕が痛い。肩も凝っている。
「重いぞ、カズマ。もう少し軽くなれ」
カズマは無邪気な顔をしていた。メグミンは文句を言いながらも、カズマを落とさないようにしっかりと抱いていた。
街の入り口に差し掛かった時、見慣れた声が聞こえた。
「あら、メグミン! 散歩?」
アクアだった。隣にはダクネスもいる。二人はメグミンとカズマを見て、にやりと笑った。
「母親の顔になってきたわね」
アクアが茶化すように言った。メグミンの顔が赤くなった。
「黙れアクア! これはただの世話だ!」
「でも、その抱き方、完全に母親よ。ほら、カズマもすっかりメグミンに懐いてるし」
ダクネスも頷いた。
「ああ、確かに。メグミン、お前は母性に目覚めたのだな」
「目覚めてない!」
メグミンは叫んだ。だが、カズマは彼女の胸に顔を埋めて、満足そうにしている。この光景は、どう見ても母子だった。
「認めたくないだろうけど、メグミン、お前、優しい顔してるわよ」
アクアが指摘した。メグミンは反論しようとしたが、言葉が出なかった。
「それに、カズマを大事に抱いてる。落とさないように、傷つけないように、すごく気を使ってる」
ダクネスの言葉にメグミンは動揺した。
「それは……当然だ。カズマは仲間だからな」
「仲間以上に見えるけど」
アクアが笑った。メグミンは彼女を睨んだ。
「貴様ら、世話を押し付けておいて、今さら何を言う」
「だって面白いんだもの。メグミンが赤ん坊の世話してるなんて、想像もできなかったわ」
アクアは楽しそうだった。ダクネスも微笑んでいる。
「お前たち……後で覚えてろ」
メグミンは二人を無視して歩き出した。だが、アクアの最後の言葉が追いかけてきた。
「メグミン、良いお母さんになれるわよ!」
メグミンは振り返らなかった。顔が熱くて仕方なかった。
部屋に戻った時、メグミンは完全に疲れ切っていた。カズマをベッドに寝かせ、自分も隣に倒れ込んだ。
「もう無理だ……明日からはお前を部屋に置いていく」
メグミンは天井を見ながら宣言した。カズマは彼女を見ていた。小さな目が不安そうに揺れている。
メグミンはその表情を見て、胸が痛んだ。
「いや……やはりダメだ。お前を一人にはできん」
カズマの表情が少しだけ和らいだ。メグミンはため息をついた。
「私は何をしているんだ……」
彼女は自分の感情が理解できなかった。カズマはただの仲間だ。パーティーメンバーだ。それ以上でも以下でもない。なのに、なぜこんなに気になるのか。
「赤ん坊の姿だから、放っておけないだけだ」
メグミンは自分に言い聞かせた。カズマは何も言わず、ただ彼女を見つめていた。
「お前は何を考えているんだ、カズマ」
メグミンは問いかけた。もちろん、答えは返ってこない。
「意識があるなら、少しは協力しろ。私も大変なんだぞ」
カズマは小さく手を動かした。メグミンの指に触れようとしている。メグミンは手を差し出した。カズマの小さな手が彼女の指を掴んだ。
「……握力は弱いな」
メグミンは呟いた。カズマの手は温かかった。柔らかくて、壊れそうで、守らなければいけない気持ちにさせられる。
「一週間だけだ。それまで我慢しろ」
メグミンはカズマの手を優しく握り返した。
カズマは彼女を見つめ続けた。その目には、言葉にできない何かがあった。メグミンは目を逸らした。
「さて、夕食の準備をしなければな」
メグミンは立ち上がった。だが、カズマが泣き始めた。
「また泣くのか!」
メグミンは振り返った。カズマは彼女に手を伸ばしている。
「……わかった。抱いていけばいいんだろう」
メグミンはカズマを抱き上げた。カズマの泣き声が止まった。
「本当に手のかかる奴だな」
メグミンは文句を言いながらも、カズマを優しく抱いていた。
夕食の準備は大変だった。片手でカズマを抱き、もう片方の手で料理をする。バランスが悪く、何度も失敗しそうになった。
「カズマ、少しだけベッドに――」
カズマが泣き始めた。メグミンは諦めた。
「わかった、わかった。抱いたままやる」
結局、簡単なスープとパンだけの夕食になった。メグミンは片手で食事をした。カズマは彼女の膝の上に座っている。
「お前も食べるか?」
メグミンはスープをスプーンですくって、カズマの口に近づけた。だが、カズマは首を振った。
「そうか、ミルクしか飲めないんだったな」
メグミンはスープを自分の口に運んだ。カズマは彼女の食事を見ていた。
食事を終えると、メグミンはカズマにミルクを飲ませた。カズマは哺乳瓶を咥えて、夢中で飲んだ。
「よく飲むな。お腹が空いていたのか」
メグミンはカズマの頭を優しく撫でた。カズマは彼女を見上げた。
ミルクを飲み終えると、カズマは眠そうな顔をした。メグミンはげっぷをさせて、ベッドに寝かせた。
「もう寝るのか。早いな」
メグミンは自分も疲れていることに気づいた。まだ夜は浅いが、もう休みたかった。
「私も寝よう」
メグミンは服を着替えて、カズマの隣に横になった。カズマは既に眠っていた。小さな寝息が聞こえる。
メグミンはカズマの顔を見た。無防備な寝顔だった。普段のカズマからは想像もできない、純粋な表情だ。
「こんな顔もするんだな」
メグミンは呟いた。カズマの頬に手を伸ばした。柔らかかった。
「一週間……長いのか、短いのか」
メグミンは自分の感情が整理できなかった。カズマの世話は大変だ。疲れる。イライラする。だが、同時に、不思議と悪くない気持ちもあった。
「私は何を考えているんだ」
メグミンは目を閉じた。疲労が一気に押し寄せてきた。
眠りに落ちる直前、カズマの小さな手が彼女の服を掴んだ。メグミンは目を開けた。カズマは眠ったまま、彼女にしがみついていた。
「……離れるな、ということか」
メグミンは小さく笑った。
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